みにくくないあひるのおやこ

うつ病歴9年のシングルマザーがASD(自閉症スペクトラム障害)を持つ子ども達を育てる日常のお話です。

巡り合わせ

運命の人

    空虚な日々を実家で過ごすようになったが、これで良かったとほっとしていた。住み慣れた所がやはり心地好い。どんな仕事が出来るか?やはり英語を使う事。この田舎なら塾の講師が良いだろう。中学生時代通っていた塾の講師をさせてもらえることになった。また人に物を教えるなら、中途半端ではいけないと思い、教員免許を通信制大学で取る事にした。これがまさか元夫との出会いに影響するとは、この時は知るよしもない。

 

    教育実習に母校の中学校を訪ねた。そこで恩師との再会を果たした。彼女のおかげで英語を好きになった。私のルーツと言える。嬉しい事に、彼女の下実習をさせてもらった。

 

    実習を終えた後、先生から町の国際交流協会に入らないかとのお誘いを受けた。正に「渡りに船」である。英語を生かすチャンスだ。会議の場所で、先生から「ある人」を紹介してもらった。その人が元夫である。

 

    「私この人と結婚するんだな。」と初めて会った時から直感的に思った。彼は10才年上の33才。中学校の英語教師をしている。話も良く合ったし、爽やかな人だったので、すぐに好きになり、出会って3ヶ月で婚約した。

 

    ところが3ヶ月後の結婚式の事を考えると、またいつもの不安感が襲って来た。自分が人前で何かヘマをやらかすのではないか?何か卑猥な事を口走ってしまうのではないか?と馬鹿馬鹿しい考えがよぎり、お色直しを多めに取って、少しでも落ち着く場所を作った。安定剤もその時に飲める。これで乗り切った。薬を飲んでいる事は、母以外内緒にした。

 

    結婚生活は元夫の両親との同居。台所と風呂は共同。でもトイレは別で、洗面所と寝室は古い離れを改装してもらい、二人の部屋はあった。やはり両親との同居は気を遣った。

    何度も不安発作が出て、薬を飲んで治めたが、ある時、救急外来に連れて行ってもらった。もう隠し切れない。精神科のクリニックを紹介してもらい、義父に車で連れて行ってもらった。

 

     10才年上の人と結婚するという事は、義理の両親も自分の両親より10才年上という事に気づいて、後悔した。考えが古過ぎる。「教育勅語」の世代なのだ。結婚したらほとんど誰もが経験する「嫁姑の確執」の辛さを年の差分味わうことになる。 

 

    結婚すると誰もが赤ちゃんを期待する。しかし、抗不安薬を飲んでいると胎児への影響が心配になる。でも、飲まないとやっていけない。この後この事で相当悩むのである。

 

またまた続きます。

ASDの子育ては?と思われるでしょうが、しばしお待ち下さい。