みにくくないあひるのおやこ

うつ病歴9年のシングルマザーがASD(自閉症スペクトラム障害)を持つ子ども達を育てる日常のお話です。

心の病=見えない恐怖

強迫神経症と不安神経症

    高校時代から集団で授業を受けるのが怖くなった。休み時間にトイレに行っても、「漏らすのではないか?」と不安になり、集団の中で息苦しくなり、授業中に保健室に行く事が増えた。また保健室に行く事自体が恥ずかしくて、さぼったこともあった。

    そんな状態を心配し、高校時代の保健体育の先生が相談に乗ってくれた。この先生との出会いはものすごくありがたかった。「自立訓練法」を教えてくれた恩師だ。自立訓練法の本とカセットテープをくれて、リラックスする方法を学んだ。

    自立訓練法は根気良く続け、習得出来た。大学生になると90分の講義を受けることは全く苦にならなかった。

   しかし、下宿先で一人になると、漠然とした不安が大きな波のように私を飲み込んでいった。この不安はその時に初めて味わう感覚というより、小学校2年生位から感じていたそれと良く似ていた。眠る前にものすごく不安になり、「母に絵本を読んでもらったら治るかも?」なんて考えていた。(実際読んでもらっていたか定かではないし、どうやって不安を沈めたかは記憶にない。)

    不安感は風邪や怪我等の様に目に見えない。原因も分からない。とにかく「気が狂ってしまうのではないか?」という事が恐ろしく、この永遠のループから抜け出せなかった。何か食べたら治るかもと思い、よろよろしながら、下宿近くの小さなレストランに這うようにたどり着き、食事を出してもらった。でも食べられない。店の奥さんがひどく心配してくれたのを覚えている。そして近くの診療所を教えてくれ、ようやく故郷を離れた場所で、医療機関と繋がった。

 

精神科の受診と服薬の開始

    結局、診療所から総合病院の精神科に紹介されて、投薬治療を始めた。医師からは「人間関係でストレスを感じ易い」と言われ「お酒を飲み過ぎたり、疲れ過ぎると不安になる」と指導を受けた。どんな薬を飲んでいたかは不明だが、何らかの抗不安薬と三角形の錠剤だったのは覚えている。

 

大学卒業と就職の失敗

    通院は在学中も続けながら、専攻の英語とESSの活動に打ち込んでこられた。何度か不安発作を起こし、両親に来てもらったこともあった。またトイレのない、窓の開かない特急電車に乗ると不安発作に襲われ、普通列車しか乗れないようになってしまった。

    就職活動は人並みにし、ある企業から内定をもらった。しかし、新入社員研修があまりに軍隊式で厳しく、私には耐えられなかった。実際男子が一人発狂したようで、彼も研修半ばに去って行った。私も挫折感と安心感を抱いて、普通列車で故郷へと帰るのであった。