久しぶりのブログ~双極性障害と診断され
一度書かなくなると、ブログはなかなか書けなくなってしまう。
この間色々あった。
一番の変化は病名が変わった事だ。
うつ病だと思っていたら双極性障害
と診断が変わった。
あまり驚かなかった。そうだろうと思っていた。
なぜなら、金使いが荒くなってしまったからだ。
散財
Amazonで買って、買って、買いまくった。次々と欲しい物が出てくるのだ。空気洗浄機に始まり、化粧品、洋服、アクセサリー、靴、ユニクロ、ONWARD等々高額な物も平気で買ってしまう。
注文した物が家に届くのが快感になる。
そして買った物を見てまた欲しくなり、注文を繰り返す。
そして、あれだけ寝てばかりいたのに、動き回ってしまう。庭にレンガを置いてみたり等々、あきらかに過活動だ。
このエビリファイが合わなかった。アカシジアの症状が出て、そわそわ、バタバタ。
しばらくして、エビリファイを中止。
散財は続いているが、カードの上限に達してしまった😵💧
働かねば‼️コンビニのアルバイトを始めた。
社会と繋がっている事が心地良い。
交通事故を起こしてしまいました
昨日私は交通事故をおこしてしまった。
私は小さい道路から大通りに入ろうと右折、相手は私から見て左側から直進。そこへ私が突っ込んでしまった。正直見えていなかった。ぶつかるまで気付かなかった。
不幸中の幸いに相手の方も私もけがはない。でも申し訳ない思いでいっぱいだ。
私はうつ病で抗うつ剤や睡眠薬を飲んでいる。その時眠かった訳ではない。
ダイエットのため、久々に水泳に行って、コーヒーを飲もうと思っていた。いつもなら歩いて行くのだが、雪もちらついていたし、運動はしたから車で行く事にしたのだ。
よくよく思えば、こうなるべくして起こったのかも知れない。
アスペルガーの長女は大学受験を1年後に控えている。偏差値の高い大学に受かることで、今まで関わってきた人たちを見返したいと思っている。
先日たまたま読売テレビの仰天ニュースで、自閉症の子が絶対音感があり、聞いた音を全部ピアノで弾いてしまう天才のコーナーを観てしまった。そして「自分は天才ではない」と落ち込んで、勉強も手に付かなかった。身内が励ましても回復しない。精神科や発達障害の人の為の相談所に連れて行ったりしていた。
広汎性発達障害の次女は中学校の特別支援学級の担任の先生に反感を持ち始めた。学校の送り迎えをしてくれる私の母に叱られ、延々泣きじゃくっていた。母も色々疲れていた。また不眠症もあり、一緒に寝ている私も巻き込まれてしまう。
また彼女も来年高校受験だ。進路説明会もあった。担任の意図は見えている。「特別支援学級から普通の高校に行けるはずがない」と。娘は公立の総合学科か農業高校のみのりと食科に行きたいと言っている。担任の先生に私が娘の気持ちを代弁しようと思っている。
色々あって、疲れて、気を遣って、身体も、疲れて……。離婚して、シングルマザーでやっていく決意があっても、結局親に頼らなければやっていけないのかと我ながら自分の甘さに絶望する。
ボロボロだ。
もう何もしたくない。
1人になりたい。
ワケガワカラナイ。
模試のその後
9:30から始まった河合模試。12:30に午前の部終了なので、会場の外で待ち合わせている。待つのは長い。ようやく出て来た娘は思った通り青い顔をしていた。
まず、アスペルガーの子にとって、初めての場所や行動はとても疲れる。
また嘔吐恐怖症なので、外で食べる事が出来ない。
ホテルのチェックアウトを延長してもらえたので、ホテルに連れて帰り、そこでコンビニのおにぎりを食べさせる。
でもどうにも食べられない。手は氷のように冷たくなっているので、カイロ2つで挟んで温める。肩こりもあり、具合が悪そう。軽いパニックを起こしている。
娘曰く、社会は時間が余る程あり、国語は時間が足りない。また先生の言う事が分からない。言葉だけの説明では頭に描かれないのだ。
受験票に記入する数字のどれを書いたらよいか、また志望大学のコードが小さくて分からない。
こんな風に1つでも出来ない事や分からない問題があると、自分はバカなのではないかと落ち込む。
本番の試験に対しては、志望大学に特別措置が取れるか聞いてみよう。
発達障害の場合、時間延長や別室受験、トイレに近い場所での受験が出来るようだ。よく調べておこう。
追記
私はこの翌日から具合が悪くなり、熱の出ないインフルエンザA型にかかりましたよ。回復まで約10日間、寝込みました。模試の疲労恐るべし。
全ては予行演習
初の模試と忘れ物
昨日田舎から姫路にやって来た。
普通列車を3本乗り継ぎ、約2時間半。
同じ県内なのに移動がものすごく大変だった。一泊2日の模試の旅。
高2生(新高3)。アスペルガーと嘔吐恐怖を持つ娘(性別違和を持っているので、なんと呼ぶべきか…。)は外出に色々困る事がある。
まず荷物の準備。取りかかるまでにこちらが重い腰を持ち上げなければならない。前日の夜になっても、用意しない。
当日の朝ごはんの後ようやく用意が始まる。
先月家族旅行をした際、いつも着ているジャージを忘れる痛恨のミスをおかし、また生理が突然来て、フロントに生理用ナプキンを買いに行ったりしててんやわんやだった。
その点今回は事前に生理が来ていたし、ジャージはばっちり。先の事をシミュレーションしながら、私も一緒に用意したので、大丈夫だと思っていた。
ホテルに入って、夕食(これも問題)を済ませ、私は大阪なおみちゃんの全豪オープンの優勝の瞬間を観て、おおはしゃぎ。ふと我に帰り、明日の模試の荷物整理を思い出す。
模試に要るもの……。出して、まずは受験票、ある。鉛筆…!え?ない!忘れた!
なぜ忘れたのか分からない。家で削って、キャップも閉めたはず。どうやったら忘れるのか?
気づいたのが前日の夜で良かった。私はコンビニに行き、鉛筆を6本買った。良かった。間に合った。私が買ったのが最後で、売り切れになってしまった。
もう1つの問題は外食。嘔吐恐怖症のため、「ここで吐いたりしないか?」「食べていて、吐いたりしないか?」がずっと気になる。
店の中では食事が出来ない。空気を吸い込んでしまう。肩が凝る。いつもの考えが浮かぶ。今回は「コンビニで買った物をホテルで食べる」事にチャレンジ。
これは大丈夫だった。周りに大勢いる所ではないから、食べられた。先月の家族旅行でもいつもより食べられたから、自信が付いたようだ。
今朝の朝ごはんはビュッフェ形式で、好きな物を選べるのと、人が割りと少なめだったからか、多少残したが食べられた。
そしていよいよ模試。他の学校の生徒の中で、おどおどしながら1人で会場に入って行った。
お昼ごはんをコンビニで買ってスタンバっていよう。
保育園に入れるのはかわいそう?
長女が1才半になった頃、次女を妊娠した。
私の両親が小さな税理士事務所を経営していて、私はそこに長女を連れて通っていたのだが、いよいよつわりがひどくなって来たので、仕事どころか、長女の離乳食も作れなくなってしまった。
でも仕事に行かず、嫁ぎ先で子育てという考えは全くなかった。姑と舅と子育てするのは拷問だ。
そこで、保育園に入れようと考えた。夫には一応相談したが、あまりに突然の申し出だっため、驚いていたが、身体がしんど過ぎたので、すぐに手続きをした。幸い空きもあったので、翌日から入れる事になった。
夫は余り気乗りしなかったようで、姑に見てもらえる方が良いと言っていた。
姑がいるなら、子守りしてもらえると思われるだろうが、姑は私が出産後退院してすぐに、突発性難聴とメニエール病を発症していた。めまいが起きたら、寝ていても目がぐるぐる回っている状態。嘔吐もする。いつ倒れてしまうか分からない。そんな状態で1才半の子の面倒なんかみられるわけがない。でも姑が言う。
「まだ、小さいのに。かわいそう。」
「家で私と一緒に面倒みたらいいやない?」
かわいそう?
保育園に入れて働いている人は
子どもをかわいそうな目に合わせているの?
私は実家の仕事の手伝いだから、いつでも辞めれるだろうってこと?
そもそもメニエール病を患っているのに、無理じゃないの?無理だから、仕事辞めて一緒に子育てしようって?
正直姑と一緒になんて居たくないの!
反対を押し切って保育園に入れた。長女を保育園に連れて行こうとする度に「かわいそうねぇ。おばあちゃんと一緒に遊ぼうか?」
と言うから、本当にかわいそうな子どもみたいじゃないかと私も思ってしまうし、長女も自分はかわいそうと思っていそうだった。
そりゃ泣く。保育園に通う子はほとんど泣く。その泣いた所を見て、周りは「かわいそう」と言うのだ。その親は子どもを「かわいそう」な目に合わせている「悪い親」。
誰も面倒見てくれる人がいないから、保育園に入れて仕事をする。
つわり等で体力が持たないから、保育園に助けを求める。
面倒を見てくれるはずの人が病気で、しかも自分も面倒を見られないから、保育園に入れる。保育園は子どもに関わる全ての人にありがたい存在だ。
罪悪感なく保育園に預けて、親や祖父母はその間を有効に過ごす。
これが理想だよな。
今や保育園に入れたくても入れられない人もいっぱいいる時代。15年前にこの現実を伝えに行きたい。
インフルエンザとダブル受験
過去を振り返るのは、頭を使うので、骨が折れる。少し現在の事を書きたい。
平成31年1月15日。やっと3連休が終わった。
先週金曜日に下の子がインフルエンザにかかり、高熱を出した。予防接種のおかげか翌日にはすぐ解熱し、本日から登校。ひと安心。
昨日、次女は父親と海を眺めに行った。小春日和で気持ち良かったそうだ。もうすぐ中学3年生。受験したい学校が見つからない!
特別支援学級の子で、公立高校の普通科に行った生徒はいないと担任に言われ、「行ってやろうじゃないか!」と闘志を燃やしている。
上の子ももうすぐ高校3年生。難関私学に行きたいのだが、いつも学力的に間に合うか心配している。アスペルガーならではなのか、関心のある事について暗記する事は得意で、世界史の話になると止まらない。
更に気になるのが、上の子から聞いた事。
父親が胆嚢に10mm大のポリープが見つかり、悪性腫瘍かも知れないと要精密検査。
病気の事ももちろん不安だが、上の子と次女の学費が重なると、かなりの高額になり、体調面から考えて、支払えるか不安との事。
この人はいつもこうだ。心配させるだけさせておいて、結果どうにかなる事なのに、無駄に不安をあおる。
緑内障の手術の時も、「給料は無くなるから、覚悟するように」言われた。結果、休職中に給料の8割(傷病手当含)が支給され、術後しばらくして復帰し、現在も教職を続けている。
いろんな意味で気が揉める時期がじわりじわりとやって来そうだ。