みにくくないあひるのおやこ

うつ病歴9年のシングルマザーがASD(自閉症スペクトラム障害)を持つ子ども達を育てる日常のお話です。

3回の流産、不育症

初めての妊娠と流産

 結婚当初、まだ抗不安薬をたくさん飲んでいなかった頃は、妊娠についてあまり深く悩む事はなかった。初めて妊娠したのは結婚後半年してからだった。ところが妊娠が判ってすぐ後に出血し、産婦人科に行ったら、「流産ですね。」とあっけなく告げられた。「流産は珍しくありませんよー。1割位の確率で起こるんで。」そして、血の塊のようなものが入った試験管をスッと出し、「これが先ほど取り出した受精卵(確かこう言ったと思う)です。」その小さな血の塊を自分でも不思議な位冷静に観察した。時間が経ってから、二人の間の子どもになるはずの塊だったんだ!と思い、病院のトイレで泣いた。

 

2回目の流産(不育症)

    次に妊娠したのは、約1年後だった。今回は違う産婦人科医院で診てもらう事にした。前回と同じ事になりないように、縁起を担いだ。当時とにかくイライラして、周りに当たり散らしていた。定期検診のとき、「ちょっと赤ちゃん小さいねー。様子見ましょうね。」と言われて、ますます気持ちが荒れた。そして5ヶ月に入った時に、「心音が聞こえない。もう成長していません。」「人工的に出産させます。機械を着けて子宮口を開きます。」

 

    激痛だった。痛すぎて血圧も下がってしまい、寝込んだ。その晩は入院し、付き添う人もなく、一人で夜を迎えた。不安でたまらなくなり、元夫に安定剤を持ってきて貰うように頼んだ。持ってきてはくれたが、付き添う事はしなかった。

    翌朝はまた機械を着け替える。待合室で待っていると、私の噂話をしていた。昨日の安定剤の事だ。「安定剤を飲むなんて、おかしいんじゃない?」医療に携わる人なのに、理解ないんだ…。と不快だった。

    翌日また内診室に行くと言われ、着いていくと別の部屋に入れられ、目隠しをされて冷たいステンレスの台に寝かされた。何が起こるのか全く分からなかったが、結局私がパニックにならないように黙って人工出産をさせる計画なのだ。痛がっていると、「赤ちゃんが産まれるのよ!!」と看護師の声。成長しない胎児を取り出すのと普通の子を出産するのとは全然違うと思い、腹が立った。励まし方を間違えている。

 

取り出された胎児を見るかと医師に聞かれたが、見たくないと答えた。その方が良いと医師。「水頭症がみられます。見ない方がいいでしょう。」胎児は元夫が火葬場に連れて行き、火葬された。その晩は私の母が側にいてくれたが、本当は元夫に居て欲しかった。二人の間の子がいなくなったのに。辛い時にいつもいてくれない。

 

3回目の流産

    2回目の流産以降、一度夫も私も流産と不育症の原因を調べるため、不妊治療を得意とする遠方の産婦人科に通うことにした。この頃には精神的に相当不安定で、抗不安剤以外にも沢山の薬を精神科クリニックで処方してもらっていた。その中でドグマチールがあった。この産婦人科での血液検査でプロラクチンの値が高くそれが不妊の原因だと。そしてその原因が精神科の薬、特にドグマチールなので、止めなければならないと。

高プロラクチン血症とは、プロラクチンと呼ばれるホルモンが血液中で異常な高値を示す病気のことを指します。脳自体の問題であることもあれば、薬剤が原因となるともあります。プロラクチンは本来出産後の乳汁分泌に関わるホルモンですが、高プロラクチン血症は出産とは関係ないタイミングでの乳汁分泌、月経不順、不妊などの原因になることがあります。                     引用元:Medical Note 

    数回その産婦人科に通い、卵管に水を通したり、風船を用いたり様々な治療をしたが、苦痛でもう嫌気がさした。もう止めようと思っていた矢先、生理が止まらなくなった。

    病院に行き驚いたのは、妊娠反応があったことだ。そして、また流産しかけている。直ちに掻爬(人工中絶)し、子宮外妊娠の否定をしなければならないと。

 

もう子どもを望むのは止めよう。疲れた。

そして、精神的にはズタボロだった。