みにくくないあひるのおやこ

うつ病歴9年のシングルマザーがASD(自閉症スペクトラム障害)を持つ子ども達を育てる日常のお話です。

誕生日を迎えて

親の目線からみた誕生日

  今日私は誕生日を迎えた。これは単なる通過点であり、新年が明けるのと変わらない。

  昔から人生は「ドッチボール」の様だと思ってきた。「ボール」に当たらないように、事故や病気から逃れて生きていく。運悪く「ボール」に当たれば、終了。全く単純な解釈ではあるが、今の所「ボール」に当たりかけながら、スレスレで生きている。

 ともかく 両親目線では「よくぞここまで生きました。これからも元気で。」と言いたくなる。「ボール」を避けながら、これからも子ども達のバックアップに尽くしたい。

 

きのうのお雑煮事件

   昨日の長男の宿題であるお雑煮事件は、あっけない展開を迎えた。父親(車で5分位の所に彼の両親と住んでいる)との勉強を終えて帰って来た次女は「私、お雑煮一緒のを食べる!」とあっさり承諾。朝の機嫌の悪さは何だったのか(>_<)

   ぎこちない手つきで、長男は包丁を握り、金時人参と大根を拍子切りにし、出汁に加えて餅と煮て、味噌を入れ、お雑煮は出来上がった。(…お餅見えない。)
f:id:ahiruno-oyako:20190102103046j:image

これは次女が譲歩出来たという大きな進歩だと確信した。

 

生い立ち:学生時代

【根明】から【強迫神経症】へ

   昨日、両親の元を子ども達を連れて、新年の挨拶に行った。その時誰かが、「かーちゃんのアルバムあるー?」と言い出し、母が出して来た。生まれたばかりのピンク色のふてぶてしい赤子から中学生までの写真を見ていた。

   4才頃私はモデル気取りでカメラ向けてポーズを取ったりしていた。カメラ目線ばかりでなく、わざと外して手にした草花を見つめたりして、なかなかのお調子者だ。

  私には4才離れた兄がいるのだが、両親が彼の音楽の才能を見出だし、畳一畳分はあるだろうというどでかいステレオセットやエレキギターやアンプ等を与えてもらっていた。

    兄の反抗期は彼が小学校6年生位から始り、その恐ろしさに私は脅えた日々を過ごしていた。幾度となく近くの親戚のおばさんの家に逃げ込んだ。大音量でエレキギターをアンプを繋いで掻き鳴らすものだから、恐怖でしかない。一番ひどかったのは「殺す!」と母親の首を締めた事だ。父は知らん顔して、朝ごはんを食べている。私は涙を流し、おどおどするしかなかった。

   両親はどちらも公務員で、私は「ただいま」と言っても「お帰り」と返してくれる家ではなかった。それが当たり前で、不足はなかった。

    父は家事には一切協力せず、母は仕事と家事を完璧にこなしつつ、いつも機嫌が悪く、時に寝込むこともあった。夫婦喧嘩もしょっちゅうで、大声が聞こえて来る度私はびくびくした。居間と台所を挟む戸のガラスをわめきながら割った母の苦しみは、結婚、離婚をした今の私になら理解は出来る。その時はただただ怯えていた。 

    その裏返しか、小学校では妙に明るかった。あだ名は「根明」。また気性が激しく、通知表のコメント欄には、「情緒不安定」と毎年書かれていた。安定している人なんているものか!?と不満だった。あまりの気性の激しさに、学級会で裁判さながらに、被告人として吊り上げられたこともあった。

 

得意が見つかる  

  中学生になると、英語だけなら学年トップになった。その自信は他の活動にもつながり、文化祭で弁論大会に出る等、活動的だった。

   高校は普通科の「英語コース」に推薦入学。開設されて2年目だ。ラッキーとしか言い様がない。苦手科目を受けなくていいのだ。入学してからは、水を得た魚のように英語を吸収し、オーストラリアでの短期ホームステイ、ESSを立ち上げ、スピーチコンテストの県大会に出場。3年生の文化祭では、クラスでセサミストリートの再現、サザエさんの英語での吹き替えをする等、本当に充実した高校時代だった。学生の絶対人数が今より圧倒的人数多い中、大学も推薦で合格し、引き続きESSに入り、英語まみれの大学生活を送った。

強迫神経症に悩む

    父の母に対する非協力的な態度を見て育った私は、父を憎むようになった。寝ている父を見て、ふと殺してしまいたいとよぎる。それが始まりだった。本当に殺してしまうかも知れない。殺してしまったらどうしよう?包丁で刺すことを想像し、とてつもない不安に襲われた。この状態はおかしいと自宅にあった「家庭の医学」という本で調べた。

強迫神経症」今では強迫性障害というのだろうが、この病名と自分の症状がぴったりだった。しかも治りにくいとも記してあった。怖くなって、泣きながら母の勤務先に電話した。「精神病院に連れて行って!」行った先の医師にやはり強迫神経症と診断された。

 

続きはまた書きますm(__)m


f:id:ahiruno-oyako:20190102144223j:image
f:id:ahiruno-oyako:20190102144246j:image
初詣で行った懐かしい神社。昔の遊び場。樹齢がわからない程の大木。おそらくパワースポットに違いない。

 

 

 

 

 

シングルマザーとASD(自閉症スペクトラム障害)の子どもとの生活

私の家族

  2019年が明けた。普通なら、明けましておめでとう。なのだろうが、ちっともめでたくない。いつもの日常の繰り返しに過ぎない。

 

私の家族は4人。

長女(男と表すべきか)16才、次女14才、長男12才。そして私はまもなく47才になる。

つまり、私は3人の子どもを持つシングルマザーである。

 

  現状はとりあえず皆ご飯を食べられるし、着るもの、住む家もある。学校にも行けている。ニンテンドースイッチをしたり、iPhoneを持たせる事も出来る。シングルにしては上出来な暮らしだ。これを「幸せ」と言わなければ、バチが当たる。

 

  なのにとても空気が重い。新年早々無言の家族。憂うつ極まりない。  それは私がうつ病であることに関係するのか?

それだけではない。

 

ASDが2人(>_<)

  長女、次女は発達障害を抱えている。

自閉症スペクトラム障害(ASD

 

長女はこれにあたり、アスペルガーである。

また強迫性障害、嘔吐恐怖症、性別違和を持つ。

次女もあてはまるが、長女とはまたタイプが違う。かつては広汎性発達障害と診断された。摂食障害の一つ「拒食症」を患っている。昨年はある大学病院に入院し、生死をさ迷った。

長男はおそらく定型発達であるが、社会心理士さんの見立てによればグレーゾーンである。学校の成績は優秀で、友人も多い。走るのが好きな子である。家ではめちゃくちゃ大人しい。上の二人に気を遣っているのが良く分かる。

 

学校の宿題: 家族のために料理を

  小学校の宿題は時に家族に迷惑をかける。

長男の宿題は「家族にお正月料理を作ろう」

というとても明る過ぎる内容だ。

私は一向に構わない。男の子だって料理が出来る方が良い。後片付けが煩わしいとも思わない。

問題は、次女が「弟(長男)の料理は食べない!」と言い張っている事だ。

何故か彼女は弟を毛嫌いする。日頃の態度から見ても、それは明らかだ。私にだけ聞こえるように、ぶつぶつ文句を言っている。

 

今朝は長男は宿題のプリントを半泣きで見せ、お正月の間に「お雑煮」を作らせて欲しいと悲しい表情だけで訴えた。(言葉に出さなかった)

それからというもの、一気に茶の間は重たい空気に包まれた。次女は「嫌だ」と言い、長女は場の空気が読めずに、「どうしたん?」と言い、長男は泣きながら、トーストとコーンフレークをかき込む。

 

親モード発動!

  こんな情けないお正月なんて嫌だ。息子に宿題をさせてやりたい。やらなければならない。私は親なのだから。長男をキッチンに呼んで、いりこ・干し椎茸を鍋に入れ、出汁を取ることを教えた。昼頃まで漬ければ、後は鰹節を入れたら出来る。

これで長男の機嫌はひとまず治まった。

あとは次女だ。長男のいない時に「やつの作った物は絶対食べない。」の一点張り。

 

さてこれからどうなるか。

ため息しかでない。